TPAチャート

「TPAチャート」とは
70年代ポップスのラジオチャートとしては、「TBS今週のポップスベストテン」、ニッポン放送の「ポップスベストテン」、文化放送の「オールジャパンポップ20」が3大チャートといえますが、これを統合した自主制作チャートとして「TPAチャート」と名付けました。
自主制作チャート作成にあたり、この3大チャートのデータが完全にそろっている必要がありましたが、残念ながら完全ではありません。
そこで考えたのが、データが不足している部分については、当方で埋めて完成させることにしました。ほかのラジオ局の情報などを参考にして、不足部分を埋めます。
このことで、完成したデータは、そのラジオ局の完全なデータとは言えませんので、例えば「TBS今週のポップスベストテン」は、Tチャートと呼びます。同様にニッポン放送の「ポップスベストテン」はPチャート、「オールジャパンポップ20」はAチャートと呼ぶことにしました。
このチャートを統合して作成した自主制作チャートという意味で、チャート名を「TPAチャート」と名付けました。
各ラジオ局のチャートの特徴として、「TBS今週のポップスベストテン」は、全米のチャートなどがいち早く反映して、動きの速いランキング変動がありますが、「オールジャパンポップ20」はレコードの売り上げなどが反映するため、チャートの動きは遅い感じです。「ポップスベストテン」はその中間といえます。
TPAチャートは、この順番で優先順位をつけるための並び順に「TPA」と呼ぶことにしました。
統合ランクを作成する際に、同点の曲が出た場合、この局の上位順にランク付けすることにしました。
さらに、この順位ごとに独自ポイントを付け加えることで、同順位の曲、同点の曲はなくなります。
自主制作チャートを作成するにあたって苦労した点は、同一レコードのA面曲、B面曲が別々にランクインしているケース、競作曲が同一曲としてランクインしているケースがあることです。
たとえば、オリビア・ニュートン・ジョンの「たそがれの恋」「カントリー・ロード」は、ラジオ局でチャートインしている曲が違っています。この場合は、「たそがれの恋/カントリーロード」という曲としてランクさせる方法を取らないと、別々にランクさせると、それぞれが低い順位となってしまいます。
TPAチャートの目的として、70年代のトータルランキングを作成したかった、というのがあります。
トータルランキングとは、70年代にランクインした曲の最終ランキングを作ることです。70年代でどの曲が一番ヒットしたのか?、総合順位は?。
これを作りたかったのです。
「ビルボード年間トップ100ヒッツ」(音楽之友社)という本で、ビルボードのトータルランキングを作成しています。年度ごと、年代ごとのランキングも作成していますが、この手法が気に入りました。
いわゆる年間ランキングといわれるものは、その年の1月から12月のランクを集計して発表するものですが、このようなランキングでは、前の年からランクインして、年度をまたいでヒットするケースの曲にとって不利になります。どちらの年度でもランクが下位になってしまう場合が出てきます。そうすると、あまりヒットしなかった曲のように見えてしまいます。
これを改善する手法として、一つの曲は、ランクインしてから番外となるまでのすべてを得点化してランク付けすることです。どの年度の曲とするかについては最初に最高位に達した週の属する年をこの曲の年度とします。1969年12月にランクインして、1970年1月に最高位に達した曲は、1970年の曲となり、1970年のトータルランクに順位付けされます。70年代の曲としてもランク付け対象となります。この場合、得点は69年にランクインした時点から加算していきます。一方、1969年に最高位に達していた曲が、1970年に入っても上位にランクしていたとしても、この曲は1969年の曲なので、1970年のランク、70年代のランクにも入りません。
私のチャートでは、一般的な年間チャート(期間集計)と、この手法によるチャート、名前を「Top of 1970」などとして発表する予定です。この「Top of 〇〇〇〇」のすべての年代を集計し、70年代トータルチャートが出来上がります。.
なつかしの洋楽ラジオチャート
なつかしの洋楽ラジオチャートについて
各局洋楽ラジオチャートの歴史
私が洋楽(特にヒット・チャート番組)に目覚めたのは、1971年ごろからです。
ラジオのヒット・パレード番組の最初は、1955年の東京文化放送「ユア・ヒット・パレード」とのことです。
1954年生まれの私は、まだ1歳ですね。
当時のアメリカでは、ロックン・ロール・ブームが産声をあげた年です。
しかし、日本ではこのブームの影響はほとん受けてはいませんでした。
もっぱら洋楽といえば、映画音楽という時代でした。
そのため、「ユア・ヒット・パレード」のチャートには、映画音楽が大半でした。洋楽は、映画音楽でという時代だったようです。
その後、1957年1月9日に東京放送(TBS)が、「今週のベスト10」という番組をスタートさせます。
「今週のベスト10」の方は、映画音楽ばかりではなくヒット・ポップスがチャートに並び違いを見せていました。
しかし、アメリカのヒット曲が反映する状況ではありませんでした。
むしろ、アメリカでの人気や知名度、流行に関係なく日本独自のヒット曲がランクしていました。
60年代に入り、ヒット・パレード番組は数を増やし、活況を呈していきます。
先行のチャート番組を追うかたちで、ニッポン放送の「ベスト・ヒット・パレード」、文化放送の「9500万人のポピュラー・リクエスト」「電話リクエスト」などが誕生します。
後発の「ベスト・ヒット・パレード」は高崎一郎氏が担当し、「アメリカのヒット・ポップスを積極的に取り上げる、日本初の本格的な洋楽番組」をセールス・ポイントにかかげていました。
洋楽ラジオチャートの収集について
私が洋楽のヒットチャート番組に目覚めたのは1971年ころからですが、当時はネット時代ではありません。もっぱらラジオで聞いたチャートをノートに書き留める形で記録していました。
ネット時代になり、自分がノートに記録していたデータをホームページで公開したらと考え始めました。
当時は、今のようにグーグルなどで検索するのではなく、ホームページも雑誌で紹介される時代でしたので、私のホームページも当時の雑誌「あちゃら」や「FMファン」などで紹介されたものです。
そのころから、過去にさかのぼって洋楽チャートを集め始めました。図書館で新聞の縮刷版から調べたり、音楽雑誌(古本)からチャートを集めました。
また、ネット上でもいろいろな人が自分で集めたチャートを公開しています。
私は、70年代のポップスを中心にホーム・ページを展開していましたが、一方で過去のチャートや80年代のチャートにも興味があり、収集を続けていました。
ネット上にも沢山のデータが点在していました。こちらからも、かなりのデータが集まりました。
データは、私がホームページで70年代のチャートを紹介した以降のものが多くあり、今まで発表していないものがほとんどです。
これらのデータを一か所で閲覧できるサイトをと考え、このような企画を考えました。
当時のチャート・ファンにとっては大変うれしいサイトとなることでしょう。
また、皆さんからの情報提供も期待しています。
どうぞよろしくお願いします。